パワーコンテンツジャパン株式会社に入社してもう3年が過ぎました。3年前というと、パワーコンテンツジャパン株式会社はまさに黎明期。まだ、横須賀輝尚が個人ブランドで動かれている印象が強い時期でもあります。
この3年で、パワーコンテンツジャパン株式会社は大きく変化しました。今日はいつもと趣向を変えて、この3年の変化を、転機となった出来事を交えて振り返りたいと思います。
パワーコンテンツジャパン株式会社はどう変化したのか
大きな変化は、やはり本当の意味で「組織になった」こと。私が入社してすぐの頃は、どうしても横須賀輝尚という個人が中心にいて、社員はその補助をしているという立ち位置でした。今は社員一人一人が強みを持ち、役割をもち、それぞれ事業の柱として動けるようになっています。
空気も随分自由さが増しました。最初からいろいろ任せてもらえる仕事は多く、入社してすぐに「この会社でなら、いろいろなことができそう」と思ったものですが、今は社員が主導で動くことも増えてきて、さらにその可能性が広がっています。
成長の大きな分水嶺は、社員から出た1つの提案だった
最初の分水嶺は2年ほど前、社員が集まって「天才塾をこれからどう発展させていこう」というミーティングを行ったときのことです。この頃のミーティングは「横須賀輝尚の報告会」という意味合いが強く残っていましたが、1人1人発言の場は与えられていました。
そこである社員が「天才塾の会員様限定にこれまでの定例セミナー動画を全て開放し、見放題にしてもいいのではないか」という発言をしたのです。
この発言をきっかけに、「GeniusSearch」という新たなサービスが生まれました。この直後の横須賀輝尚のメールマガジンにはこの日のことが書かれていて、「社員が育ってきた」という言葉が今でも印象に残っています。
「事業に貢献したい」
次の分水嶺は、サイト制作の講師をしたいと社員から自発的に声が上がったこと。これまでも、増井瞳という社員がデザイナーとして自社および外部のサイト制作にも関わっていました。ですが、受け身的に受注をするだけではなくて、自分で収益を生み出したいと考え、増井が3日間のセミナー講師を務めることを決めます。
この出来事は他の社員にも影響を与えました。まず高金大輝が感化され、自ら講師を務めたり、コンサルタントとして研磨し始めました。その後の彼の活躍を見ていただくと、本気度がおわかりいただけると思います。
増井や高金をはじめ、他の社員たちにも「自分も会社の利益にもっと貢献したい。それができるにはどうすればいいのか」という意識が芽生え始めました。
この頃から、「パワーコンテンツジャパン株式会社らしさ」という言葉がよく使われるようになりました。会社に合う人、合わない人が明確に出始めたことで摩擦が起きたこともありますが、こうして会社は磨かれていったように思います。
社員が社員を選ぶ
今、パワーコンテンツジャパン株式会社では、社員が全員で採用業務に当たっています。実際に人選や面接をする前に、全社員で集まって「どんな人と一緒に働きたいか」ということを徹底的に洗い出しました。
同じ会社で一緒に働く社員とはいえ、価値観はみな違います。それでも、「一緒に働きたい人」「パワーコンテンツジャパン株式会社らしい人」の像に大きな乖離はありませんでした。実際に社員主導で採用も行っていますが、今だからこそできることだと思っています。